12月公演「ヒョンヌの花嫁」

ユーラシア騎馬民族シリーズ第2弾

第37回公演「ヒョンヌの花嫁」~リーディングドラマ

作・演出/松尾容子
監修/ペーター・ゲスナー

紀元前200年頃、北アジアを席巻した騎馬遊牧民族匈奴を舞台に、政略結婚させられる漢の公主と、同行する宦官中行説(ちゅうこうえつ)の物語。史実を元にした書下ろしフィクションのリーディングドラマ。トゥバ共和国に伝わる喉歌ホーメイの音色と共にお届けします。

 

<開催日・会場>

(1)2021年12月11日18:00、12日15:00&18:00
会場:POSTO(東京都調布市仙川町1-19-10)
アクセス:京王線仙川駅下車徒歩3分

(2)2021年12月14日15:00&19:00
会場:若葉町ウォーフ(神奈川県横浜市中区若葉町3丁目47-1)
アクセス:京急「黄金町」下車徒歩4分

いずれも開場は開演の30分前。上演時間7~80分予定。

<出演者・スタッフ>

出演:藤澤友、後藤まなみ、荒牧大道、宇野雷蔵、吉田拓哉、松尾容子
演奏:チャスチャイクスキシュ(ホーメイグループ)
スタッフ:舞台監督:荒牧大道、音楽監督:鎌田英嗣、照明:河上賢一(株式会社ラセンス)、映像:宇野雷蔵、音響・動画編集:吉田拓哉、制作:一宮均、長谷川亜弓 ほか

<チケット予約>

■料金 一般:事前予約3000円、当日3500円 / 学生:2000円(一律)
■お問合せ・予約 Email=info@uzumenet.com
予約は、上記メールアドレスに「お名前、ふりがな、希望日時、枚数と券種、連絡先電話番号」をお書き添えの上、上記メールアドレスに送信してください。
3日以内に予約可否のご連絡をさし上げます。

 

※12月14日の横浜会場のチケットは、こちらから購入することもできます。

YPAM(ワイパム、横浜国際舞台芸術ミーティング)

 

■主催 うずめ劇場
■協力 POSTO、若葉町ウォーフ(WAKABACHO WHARF)
■YPAM(横浜国際舞台芸術ミーティング)2021フリンジ参加(横浜公演のみ)
■助成 ARTS for the future!補助事業

【あらすじ】
漢三代目皇帝である文帝は、北辺の地に侵攻してくるヒョンヌ(匈奴)の軍勢に頭を悩ませていた。ヒョンヌに和平を促す書を持たせて使者をつかわしたところ、ヒョンヌの王である冒頓(ぼくとつ)が亡くなり、その子が老上単于(ろうじょうぜんう)として即位したことを聞き及ぶ。早速、遠戚の16歳になる娘を公主(皇帝の実の娘)と偽り、単于の花嫁として送り出す準備を始めた。そのお側役として選ばれたのが、老年にさしかかった宦官中行説(かんがん ちゅうこうえつ)であった。説は拒否するも聞き入れられず、遠い辺境の地へ偽公主とともに赴くこととなる。しかし、説は文帝に
「私をヒョンヌの地に追いやれば、必ずや漢にとって、よからぬ結果となりましょうぞ。」
という捨て台詞を残して、旅立つのであった…。

ユーラシア大陸を支配する、漢とヒョンヌという2大国に運命を翻弄される、若き公主と宦官中行説の数奇な運命の物語。

【演奏~ホーメイとは】
アルタイ地域に位置する、ロシア連邦トゥバ共和国に古くから伝わる喉歌(のどうた)の唱法を用いて、歌い演奏する伝統的な音楽。「フンフルトゥ」や「アラッシュ」など世界的に有名なグループを数多く輩出し、その音楽性の高さで知られる。「チャスチャイクスキシュ」は日本人男女による珍しいホーメイグループで、2015年結成後全国各地で演奏活動を行っている。

 

【作者コメント】

2013年に初めてロシア連邦トゥバ共和国を訪れ、ホーメイという倍音唱法で歌い演奏される音楽とともに、ユーラシア中央部の諸国や民族に大変興味を持ちました。

周辺諸国を含め、アルタイ地域と呼ばれるこの地域は、昔から遊牧や狩猟を主な生業とする人々が多く暮らしています。そこには、日本人に似た顔立ちの人もいれば、金髪に青い目の人もいます。昔からトゥバ人としてこの地で暮らしていたようで、複雑な歴史や民族形成が伺われます。

もともと遊牧民族は文字を持たず、(トゥバでも独自の言語ができたのは、100年ほど前のことです。)その歴史は中国の歴史書などから垣間見れる程度でわからないことも多いのですが、最近トゥバでも遺跡がたくさん見つかり、古代の歴史にも新しい解釈が加えられようとしています。シルクロードより古いアイアンロードと呼ばれる、古代の鉄の伝播の道筋も注目され始めています。

この物語は、そんなユーラシア大陸で、紀元前200年頃に勢力を2分していた匈奴と漢を舞台としています。

有名な司馬遷の史記「匈奴列伝」に書き記された、匈奴に送られた漢の宦官 ”中行説(ちゅうこうえつ)” の逸話をもとに創作しました。

我々からすれば大昔の話ですが、司馬遷からみれば、中行説の話は100年前くらいのことですから、近代史の編纂というところでしょう。しかも、司馬遷の生きた時代まで匈奴と漢はつばぜり合いを繰り返していたので、まさに現在の状況に大きく関わる外交問題を取り扱っていたといえます。もちろん、今のように一般人でも様々な情報を簡単に入手できるような環境ではなかったでしょうが、司馬遷は稀代の歴史家で、あちこち旅をし情報を収集し、その情報は信ぴょう性が高かったのではないかと推察します。

中行説は史記によると、匈奴に政略結婚のために送られる皇帝の娘(実は偽物)のお側役に任命されるのですが、拒否したにも関わらず皇帝である文帝の命令で行かざるを得ず、それを恨みに思って、匈奴の王、老上単于(ろうじょうぜんう)に仕え、漢を攻めさせた裏切り者となっています。しかしまた、漢の使いの者が匈奴に貢物をもってきたとき、匈奴の風俗・風習をけなす使者に、弁舌巧みに反論し、ぐうの音もでないほどやりこめた話が生き生きと描かれています。司馬遷は、身分制度にしばられ、形式的な官僚主義を重んじる漢に対して、匈奴の自由な気風に憧れをいだいていたのかもしれません。

漢に不利・不名誉な話であっても、その歴史書に書き記す姿勢を貫いた司馬遷は、反骨精神旺盛な気概のある人物だったといえましょう。彼が仕えた武帝は好戦的で、西域や匈奴を次々と制圧していきます。そして、漢から寝返って匈奴に降った”李陵(りりょう)”という将軍が、武帝の怒りを買ったとき、司馬遷は李陵を擁護します。そのことが武帝の逆鱗にふれ、司馬遷自身も、死刑の次に重いとされる極刑、男根を切り落とす宮刑に処されて牢獄につながれ、そうした中で命をかけて史記を書き上げたと伝わっています。

遠い昔の話ではありますが、この中行説の逸話は、大国の間にはさまれ、先の読めない状況の現代日本社会を生きる我々に、何か示唆するところがあるように思います。
また、全く違う文化風習の中で生きることを強いられる人間の有様は、ドイツ人演出家と共に演劇を作り続ける、うずめ劇場にも通じるテーマです。

トゥバを訪れた体験も織り込み、想像の翼を広げ書き上げました。
トゥバ共和国に古くから伝わるホーメイの響きとともに、楽しんでいただければ幸いです。

松尾容子