うずめアーカイブ その6「ペンテジレーア」

作:ハインリッヒ・フォン・クライスト
上演時期:2002年~2003年
於:北九州芸術劇場、ほか
執筆担当:五島朋子(鳥取大学地域学部附属芸術文化センター教授・アートマネジメント論)
リンク:地域劇団の継続的活動へむけた支援の意義と課題 -劇団「うずめ劇場」10年間の実践を通して-

2003年上演の「ペンテジレーア」は、そもそもは財団法人舞台芸術財団演劇人会議の「舞台芸術活性化事業」として、2002年ペーターが鳥取に滞在、地元の演劇人と製作した作品がもとになっている。舞台芸術活性化事業は鈴木忠志氏がプロデューサーで、「財団法人地域創造と地方公共団体が共催し、地域の演劇人と全国的に活躍する演劇人」の一人として、2001年には長野県で山姥伝説をもとにした作品を上演、そして2002年は鳥取県で作品をつくることとなった。当時の鳥取県知事片山善博氏は、芸術文化にも手厚い政策を取っていたし、鳥取の劇団Ores(オーズ)の森本孝文氏が演劇人会議のメンバーということもあり、鳥取が作品創造の場の1つとなったのだと思う。

2002年の「ペンテジレーア」は、その年の8月に鳥取と利賀村で上演された。私は、この鳥取版を見ることができていないのだが、短縮版だったので、2003年はそれをもとに劇団として全編を上演することとなった。会場は、うずめ劇場には珍しく、公立のホール「北九州芸術劇場」だった。ちょうど2003年夏にオープンしたばかりの試運転期間ということで、確か会場費無料だったと思う。私個人にとっては、常勤の仕事を辞めて、フルタイムで劇団運営に携わるようになって初めての制作担当で、数々の忘れられない致命的な!失敗もあり、良くも悪くも思い出深い。その失敗の数々(京都の故遠藤寿美子さん激怒事件とか、指定席大混乱事件とか・・・・!)については、ここでは触れないでおきたい(笑)が、ペーターから、「リスクをとれ」(正確には、「ウンコに手をつっこめ!」)と散々どなられたことは、確実に今の仕事に生きている。ホントです。

ハインリッヒ・フォン・クライストの傑作「ペンテジレーア」(1809年作)は、長大な物語を無理に約めるならば、アマゾネスの女王ペンテジレーアが、恋に落ちたギリシアの英雄アキレスを激しい愛のあまりに殺して食べてしまうという悲劇。3時間に及ぶ台詞劇の台本は、出版元の了解が得られなかったため、佐藤恵三訳を使用できず、戦前の訳出である吹田順助訳をベースにすることとなり、こなれない日本語の長台詞に役者達は苦労した。そのことに起因してか、作品に対する評価は割れるところが多かったように記憶している。しかし、作品選定、舞台美術、参加俳優の特色には、「うずめ」らしさが充溢した作品だったと思う。

舞台セットは、チェスボードのような白黒チェックの床に、様々な高さの黒い立方体(私たちは、これを「モノリス」と呼んでいた。短縮版初演時に鳥取の森本氏と共に製作したものである。)を移動させながらシーンを作って行くもので、うずめ劇場にしては(?)少々スタイリッシュなしつらえであったが、抽象度が高いからこそ、今の日本から遠いギリシアの舞台を観客の脳裏に描くことができたと思う。役者には、うずめ劇場のコア・メンバーの他、当時ク・ナウカの中村優子さんがペンテジレーア、大久保倫明さんがアキレスを演じ、北九州や山口の劇団からも参加していた。アンサンブルとしてのまとまりを共有するには至っていなかったかもしれないが、長大な台詞劇を無謀にも力づくでやりきったという点で、「うずめ」らしかったと思う。

本作を選んだペーターの念頭には、当時東京都を中心に議論が盛んになっていたジェンダーフリー教育やフェミニズムに対するバックラッシュがあり、「ペンテジレーア」を上演する意義のひとつとして、こうした問題を照射することができると考えていたようだった。その意図を直接的に反映した演出はほとんどなかったと記憶しているが、ペーターが、ジェンダーおよび生物学的な性に関する最新研究記事などを、当日配布パンフレットに掲載しようとしていたことは印象深い。古典作品にどのような現代的意味を見いだすのか、そのような演出家としての仕事をペーターは常に遂行しようとしていた。

先頃発売された『テアトロ』10月号に、ペーター自身が振り返る「うずめ劇場20周年」が掲載されている。そこに本作への言及がないのはちょっと残念なのだが、私個人は、「ペンテジレーア」はドイツ演劇人の面目躍如、うずめ劇場を象徴する作品のひとつだったと思う。最後に。余談だが、私はうずめ劇場での制作を経た後鳥取大学に就職が決まり、2005年春から鳥取の住人となった。2002年の「ペンテジレーア」鳥取上演で、ペーターやうずめ劇場が先に鳥取までの道筋をつけてくれたような気がしている。現在は、やはり利賀村つながりの中島諒人氏による「鳥の劇場」が、鳥取で活躍している。もしかすると私は、鳥取に演劇の糸で結びつけられていたのかも?と、密かに確信を強めているところである。(2016年10月15日記)