うずめアーカイブ その3「ゴドー」から「紙風船」へ

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「ゴドーを待ちながら」
作/サミュエル・ベケット 演出/ペーター・ゲスナー
上演時期:1999年
上演場所:北九州市、福岡市、

「紙風船」
作/岸田國士  演出/ペーター・ゲスナー
上演時期:1999年
上演場所:富山県利賀村(第一回利賀演出家コンクール)
※北九州市八幡西区正覚寺本堂にて凱旋公演
執筆担当;松尾容子

「わが友ヒットラー」の旗揚げ公演から、「赤目」「星の王子さま」「浮世混浴鼠小僧次郎吉」「王女メディア」「ゴドーを待ちながら」と、年2回のペースで公演を打ってきたが、実質は「赤目」で共同公演を行った演劇作業室紅生姜の協力を得ながら、毎回役者をあちこちから集めて、ペーター演出で上演していたのが実情だった。公演自体は、地元でもそれなりの評価を得て、劇団として知名度もあがってきていたが、外国人が、ひとりで立ち上げた劇団の先行きは、決して明るいとはいえない状況だったと思う。

経費は自分のポケットマネーでまかない、演出や役者のギャラも出せず、赤字がでなければ御の字。初日の翌日には、新聞の分厚い文化欄に劇評がでかでかと載るドイツとは違い、ときどき、小さい演劇のコラムや演劇雑誌に取り上げられる程度。その状況に業を煮やし、この町で芝居を続けていくことに、意味を見失いかけていた。近しい人には、ドイツに帰って、ラーメン屋をやろうか、と冗談交じりに愚痴っていたこともあったらしい。うずめ劇場としては、かなり崖っぷちで、ペーターも自分の劇団をあきらめて、いったんは紅生姜のメンバーになることにした。

そんな中で、演劇作業室紅生姜主催、ペーター演出で「ゴドーを待ちながら」をやることになった(1999年)。若い役者をじっくり育てたい、というペーターの思いに、紅生姜の山口さんが呼応する形で上演が決まったと記憶している。今までのように、公演が終わると、手をかけた役者が自分のもとから雲散霧消してしまう状況を、なんとか打開したかったのだろう。

今まで、ペーターの芝居に参加した役者の中から、ウラディミールとエストラゴンはダブルキャストで、武石守正と後藤まなみ、もう一組が松尾容子と渡辺あきよ。ポッツオに山口恭子。ラッキーに荒井孝彦という配役。

わたしにとっては、初めての大役で、役者として本格的に稽古をつけられた初めての芝居だった(決して若手とはいえない年齢だったけど…)。結果からいうと、まったく歯が立たず、最後の本番で役を降ろされ、もうひとつのチームとすげかえられた苦い思い出のある芝居である。朝、目が覚めて、今日も稽古があることを思い出すと死にたくなった。でも、この経験が今まで役者を続けている原点になっている。

ゴドーが終わったあと、ウラディミールとエストラゴンをやった4人の役者とペーターで、なんとなく、うずめ劇場を再結成しようという話になった。わたしだけでなく、この大変な芝居をやりきる中で、それぞれが役者の意識にめざめたような感じだった。

その後、運のいいことに、北九州市八幡西区折尾の「ウテルスホール」という素晴らしいホールを拠点に「棒になった男」「にしむくさむらい」「紙風船」の3作品を立て続けに、製作・上演する幸運に見舞われた。ウテルスホールは、もともと音楽用として作られたホールで、客席を建て込むと50席ほどの小ぶりなスペース。そのオープニングパーティに、たまたま招かれたペーターが、ホールのオーナーご夫妻に(多分熱心に交渉し)気に入られて、芸術に理解の深いご夫妻から、大変に暖かいもてなしを受けながら、稽古をすることができた。このホールで演劇の上演を許されたのはうずめ劇場だけという破格の待遇で、本当に感謝してもしきれない。

特に「紙風船」は、第一回利賀演出家コンクールに参加するために製作したもので、なんと最優秀演出家賞を受賞したが、この環境がなければ、実現しなかったのではないかと思う。

その辺については、また別途詳しく書きたいと思うが、とりあえず、劇団消滅の危機を何とか乗り越えたかと思ったら、一気に最優秀賞受賞、という、ありえないような事態の幕開けとなった。